
これから紹介する文章は、
「国語教師」ユーディト・W・タシュラーからの引用です。
なぜ私が下記の文章を紹介したいと思ったのか?
恋愛のひとつの目的は、人間理解だと思っているからです。
自分と真逆の異性との交わりを通して、本能や欲を感じ、信頼や失望を体験して「人間」を知ること。
だから恋愛は、私にとってすごく奥が深く、追求する意義のあるもので、突き詰めることで人生そのものが豊かで充実する価値のあるものだと思っています。だって私たちの世界は人間で構成されているのだから。
その人間理解において、今回味わいたいのは、「虚栄」を人生の主題にしている男。
女に恋をするではなく、自欲のために、女を必要とする男について。
そして、そんな男にとっても、その他大勢の女とは一線を画し、心から愛する女がいる。
その女とは、どんな女なのか。
その女の、どんな態度が男を本気にさせるのか。
ここに描かれる男と女、あなたの恋愛の、ひいては人間理解の参考になるはず。
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人は誰もが、なんらかのモティーフ(主題)を抱えて生きている。
人生という総譜とメロディを形作るひとつのテーマだ。
ほとんどの場合、そのモティーフはその人の生い立ちと深く結びついており、人生を通して広がり、どんどん大きくなっていく。そこから逃れることはできない。
クサヴァーのモティーフは「虚栄」だった。
だがクサヴァーがそれを自覚することは、滅多になかった。
作家になりたい、作家にしかなりたくないと自ら決意したのも、まさに虚栄が理由だった。
クサヴァーの虚栄は、職業の選択に決定的な役割を果たしたのみならず、
彼を際限なく女から女へと駆り立てた。
彼は女を愛し、必要とした。
女が沸き立つような恋情と、知的渇望と、貪るような興味とをあらわに自分を見つめる瞬間が必要だった。
そんな瞬間をクサヴァーは求め、それなしではいられなかった。
恋する女たちのうっとりとした視線を浴びていたかった。
子供の頃、母のまなざしを思う存分浴びていたように。
クサヴァーは見た目もよく、魅力的で、女たちの心を引きつけた。
16歳からはセックスも存分に楽しんだ。
相手はほとんどが年上の女だった。
女たちはクサヴァーを崇めた。
作家になりたいんだ− 後には、作家なんだ− と言うと、女たちは信じられないという顔をした。
作家になった後も、無数の朗読会で聴衆の視線を浴びることができるほど成功していたわけではなかったので、
女とふたりの関係というささやかな舞台で満足するしかなかった。
だが何度か会ううちに、恋も感銘も薄れ、女たちは自分の悩みをクサヴァーにぶつけはじめる。
伴侶や元伴侶の愚痴、つらい子供時代、難しい子供たち。
女たちの話はほとんどの場合、去ることと去られることをめぐるものだった。
去ることへの不安と、去られた後の孤独の話だった。
女たちの誰かの話を面白いと思えば、クサヴァーはその女と長く付き合った。
そうでなければ、すぐに関係を絶った。
女たちのつまらない愚痴には耐えられなかった。
そんな時は、よくベットから起き上がり、女がまだ話しているのにも構わず、服を着始めた。
クサヴァーが聞きたいのは、本物の悲劇だった。
それがクサヴァーが女たちと付き合う二つ目の理由だった。
クサヴァーは人の人生の物語を聞くことが好きでたまらず、聞きながらすでに、執筆に役立つものとそうでないものとを区別していた。
恋する女たちは、クサヴァーとの情熱的な一夜の後に、家族の過去から現在にわたるあらゆる悲劇や秘密を、喜んで話してくれた。
マティルダに出会ったときには、それまでに何人の女性と付き合ってきたのか、もうはっきりとはわからなくなっていた。
実際、そんなことを申告する気もなかったので、マティルダに対しては、これまで付き合った女性は三人だと言った。
マティルダはクサヴァーの目にはとても誠実で真面目な女性に映ったため、マティルダに気に入られたい、表面的で底の浅い女好きだと思われたくない、という理由でついた嘘だった。
こうして、ふたりの関係には、最初から嘘が居座ることになった。
付き合い始めた当初から、クサヴァーは、マティルダが自分と自分のキャリアにとって非常に役に立つ存在だと予感していた。というのも、クサヴァーに書かせること、書き続けさせることにかけて、マティルダの右に出る者はいなかったからだ。
クサヴァーは悪人ではない。
決してマティルダを意識的に利用しようと思ったわけではない。
本当にマティルダを愛していた。
マティルダのエネルギーと真面目さに感銘を受け、最初の数年はそこから多大な恩恵と影響を受けた。
それにマティルダのとてつもなく大きな愛情にも胸を打たれ、マティルダからの崇拝の念に何年も心地よく浸った。
他の女たちの場合は、クサヴァーを見つめる際の瞳の輝きは、数回会った後にはもう失われた。興味も恋情も薄れた。
だがマティルダの崇拝は、信じられないほど長く続いた。そのおかげでクサヴァーは、9年間も目移りせずにいられたのだった。
なぜ「意欲」のモティーフを持つマティルダと「虚栄」のクサヴァーは引き合ったのか?
どうしてそんなことがあり得たのか?
なぜふたりは恋に落ちたのか?
とりわけマティルダのほうは、後によくそう考えた。
クサヴァーの浮気がわかり、とてつもなく苦しんでいた頃には、特に。
問いの答えは、クサヴァーはマティルダと同じふたつ目のモティーフを抱えているから、だった。
つまり「憂鬱」。
それに、ふたりの情熱が同じものに向けられていたから−文学への愛。
物語を聞くことへの、語ることへの愛。空想の翼を広げることへの愛。
クサヴァーは確かに他の女たちと寝て、彼女たちの話を聞きたいとは思った。
だがそれだけだ。
クサヴァーが自分自身のことを語る相手はマティルダひとりだったし、一緒に生きていきたいと思う相手もマティルダただひとりだった。
本当に自分を理解してくれているのは、マティルダだけだと感じていたからだ。
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しかし、この後、クサヴァーはマティルダを捨て、大富豪の娘と結婚する。
大富豪の娘との結婚は2年と続かず、離婚。
クサヴァーはある手紙を見つけてマティルダの自分への愛を思い出し、16年前に自分が下した決断が間違っていたことを悔やみ、もう一度、自然な形でマティルダに再会しようと試みるが。そこに待ち受けていた結末とは・・・
気になる方はぜひ本書を読んでみてね。
<人生>は、主題と選択の<物語>
この本のテーマは色々あるけれど、
男と女が恋に落ちて惹かれ会うのは、共通する主題を持っているからというのもひとつの理由。
あともう一つは、同じものへの情熱。
そのふたつをまとめて人は、価値観が同じとか、志を同じくする相手とか言うんだろう。
だけど、同じ主題を持っていても、選択は個々で異なる。
その異なる選択の結果、男女は惹かれ合いながらも別々の道をいく。
今やっている私たちの恋愛は、所詮、人生道半ばの物語の途中。
だからこそ、今だけを切り取って、深刻にならずに。気楽に、気軽に、思い詰めないで。
誠実に愛したその事実が嘘でないなら、選択の末別の道を行っても、何十年も先の未来かもしれないけど、
再び物語の伏線を回収できる機会がくる。
真の愛は、お互いの人生に最後まで影響し続けるから。
それでは、
毎日かわいい自分を愛して、会うたびに美しく!
ちなみに、去年読んだ小説で一番心に残ったのは、同じ著者のこの作品。
著者のユーディトさんは女性なんです。
ずっと男性だと思って読んでいたんですが、女性だと知って驚きと納得!
男性には描けない女が感じる男への細かい感情や
人間(キャラクター)の考察、描き方がすごく鋭くてすごく共感。
彼女の作品の大ファンになりました。
<告知>
えりさんに会って元気をもらいたい。
なんとなくモヤモヤしている気持ちを吹き飛ばしたい。
そんな方がもっと気軽に私に会える機会を
今年から設けます。
<<1ヶ月に1度のファンミーティング開催決定!>>
1月のファンミーティングは・・・
1月15日(土)12時〜14時
場所:銀座から徒歩6分
参加費:8000円(軽食、スパークリングワイン、お茶代込み)
テーマ:「今年の夢!叶えたいこと!」
申込:下記のLINE@に「1月15日はえりさんと遊びたい!」とコメントください。
申込期限:1月12日(水)まで
みなさんに会うのを楽しみにしています!